我が家のプリンスたち“快”と“士”の成長記録を中心に、日常の些細な出来事などを書いています。


by torihachi88
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思うこと

母は、私にとって、心の支えで、お手本で、私の人生を作ってくれた人でした。
なので、母の死は本当に本当に辛くて、悲しくて悲しくて仕方ないです。

小さい頃から、私が一人っ子だったし、引越しも多かったので
母はいつも友達をたくさんうちに呼んでくれました。
私の誕生日はいつもクラスの友達をたくさん呼んでパーティを開いてくれました。
時には、クラスの女子全員を呼んだこともあります。
ご馳走をたくさん作ってくれました。
おかげで、私は一人っ子であることは全然嫌ではなかったし、
引越ししても友達はたくさんできて、全然嫌ではなかった。

母は私の誇りでした。

一人っ子だから、兄弟がいないから、と
母はいつも私と遊んでくれました。
一緒に歌を歌ったり、踊ったり、遊んだり、今でも本当によく覚えています。
だから、兄弟なんていなくても全然さみしくなかった。

私は、学校であったこと、友達のこと、何でもかんでも母に話していました。
手紙もいっぱいいっぱい書きました。
お母さんは
「かずちゃんは字が綺麗だから、お手紙をもらうのが一番嬉しい」
といつも言っていたので、毎日のように手紙を書いていました。

母は、私の勉強や習い事や、何でも精一杯手伝ってくれました。
母が喜んでくれるから、いっぱい褒めてくれるから
習い事も頑張った、お習字も頑張った、ピアノも、勉強も、
何でも、母に喜んでもらいたくて頑張りました。
部活も、仕事も、何でも、母が喜んでくれるから。
そうやって、頑張って頑張る癖がついて、今があります。
そのおかげで、今の仕事があって、この成果も母に見ていて欲しかった。

でも、こんなに忙しくしているから、母にさみしい思いをさせてしまったのではないか。

最後に母と電話で話したのは、9/4。
その時の母は、ものすごく寂しそうで。
その時の声を思い出すと胸が苦しい。
なぜ、もっと母の気持ちに寄り添ってあげられなかったのだろう。
母はいつもどんな時も私のことを一番に思っていてくれたのに
なぜ私は、もっと母のことを考えてあげられなかったのだろう。

そう思うと
本当に後悔しかなくて。
辛くて辛くて、毎日本当に悲しいです。

まだまだ、お母さんに聞いてほしい話はいっぱいあったのに。
子供達の成長も見ていて欲しかった。
カイカイやぼん、ピアノが上手になったんだよ。
夏休みの宿題、選ばれたんだよ。
ぼんはクラスのリーダー的な存在なんだよ。
仕事は大変だね、お父さんも大変だっただろうね。

お母さん、自宅に警察が現場検証に来たんだよ。
お母さんはサスペンスが好きだったから、現場検証なんて見たら喜んだだろうにね。
なんて、話したかったな。

母は最近、いつも言っていました
「もし私がうちで倒れてて死んでても、びっくりせんでいいよ。
 年に不足はないんだから。本当に幸せな人生だったんだから。」
そんな、縁起でもない、と思っていたけど
まさか本当にその通りになるなんて。
なんて母らしいんだろう。
病院で管に繋がれて死ぬより、
一番大好きな自宅で、母がこだわってこだわって建てた自分の家で
苦しまずに死んでしまうなんて、
母は、本当に母らしい死に方をしたんだろう。

でも、もう一度話したかった。
いつもいつも
「かずちゃんにばかり苦労をかけて、ごめんね。」
と言っていた母、私、苦労なんてしていないんだから。
それは伝えたかったのに。

あぁ、人生最大の後悔です。

by torihachi88 | 2016-09-26 20:34