母は、私にとって、心の支えで、お手本で、私の人生を作ってくれた人でした。
なので、母の死は本当に本当に辛くて、悲しくて悲しくて仕方ないです。
小さい頃から、私が一人っ子だったし、引越しも多かったので
母はいつも友達をたくさんうちに呼んでくれました。
私の誕生日はいつもクラスの友達をたくさん呼んでパーティを開いてくれました。
時には、クラスの女子全員を呼んだこともあります。
ご馳走をたくさん作ってくれました。
おかげで、私は一人っ子であることは全然嫌ではなかったし、
引越ししても友達はたくさんできて、全然嫌ではなかった。
母は私の誇りでした。
一人っ子だから、兄弟がいないから、と
母はいつも私と遊んでくれました。
一緒に歌を歌ったり、踊ったり、遊んだり、今でも本当によく覚えています。
だから、兄弟なんていなくても全然さみしくなかった。
私は、学校であったこと、友達のこと、何でもかんでも母に話していました。
手紙もいっぱいいっぱい書きました。
お母さんは
「かずちゃんは字が綺麗だから、お手紙をもらうのが一番嬉しい」
といつも言っていたので、毎日のように手紙を書いていました。
母は、私の勉強や習い事や、何でも精一杯手伝ってくれました。
母が喜んでくれるから、いっぱい褒めてくれるから
習い事も頑張った、お習字も頑張った、ピアノも、勉強も、
何でも、母に喜んでもらいたくて頑張りました。
部活も、仕事も、何でも、母が喜んでくれるから。
そうやって、頑張って頑張る癖がついて、今があります。
そのおかげで、今の仕事があって、この成果も母に見ていて欲しかった。
でも、こんなに忙しくしているから、母にさみしい思いをさせてしまったのではないか。
最後に母と電話で話したのは、9/4。
その時の母は、ものすごく寂しそうで。
その時の声を思い出すと胸が苦しい。
なぜ、もっと母の気持ちに寄り添ってあげられなかったのだろう。
母はいつもどんな時も私のことを一番に思っていてくれたのに
なぜ私は、もっと母のことを考えてあげられなかったのだろう。
そう思うと
本当に後悔しかなくて。
辛くて辛くて、毎日本当に悲しいです。
まだまだ、お母さんに聞いてほしい話はいっぱいあったのに。
子供達の成長も見ていて欲しかった。
カイカイやぼん、ピアノが上手になったんだよ。
夏休みの宿題、選ばれたんだよ。
ぼんはクラスのリーダー的な存在なんだよ。
仕事は大変だね、お父さんも大変だっただろうね。
お母さん、自宅に警察が現場検証に来たんだよ。
お母さんはサスペンスが好きだったから、現場検証なんて見たら喜んだだろうにね。
なんて、話したかったな。
母は最近、いつも言っていました
「もし私がうちで倒れてて死んでても、びっくりせんでいいよ。
年に不足はないんだから。本当に幸せな人生だったんだから。」
そんな、縁起でもない、と思っていたけど
まさか本当にその通りになるなんて。
なんて母らしいんだろう。
病院で管に繋がれて死ぬより、
一番大好きな自宅で、母がこだわってこだわって建てた自分の家で
苦しまずに死んでしまうなんて、
母は、本当に母らしい死に方をしたんだろう。
でも、もう一度話したかった。
いつもいつも
「かずちゃんにばかり苦労をかけて、ごめんね。」
と言っていた母、私、苦労なんてしていないんだから。
それは伝えたかったのに。
あぁ、人生最大の後悔です。